鎖国中でも仲良くした唯一の国〜オランダ

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オランダ〜日蘭通商400周年

江戸幕府の初代将軍・徳川家康がオランダに朱印状を交付し、通商関係を開始したのが1609年。2008年で400周年になります。日本の鎖国時代も西洋の国で唯一交流を続けてきたオランダと日本との関わりについて、ここでは解説したい。

オランダの国土は日本の九州とほぼ同じ広さ

オランダ王国は、人口約1,600万人(2008年11月現在)、九州とほぼ同じくらいの大きさで、欧州でも比較的小さな国。国土の4分の1が海抜0m以下だ。風車を利用して水をくみ上げ、運河に流して土地を干拓してきた歴史がある。このため、水面は土地よりも高くなっているところもたくさんある。

戦乱続きの時代

現在のオランダ・ベルギーにあたる地域はかつて「ネーデルラント」と呼ばれ、毛織物の生産や欧州諸国間との中継貿易で繁栄していた。神聖ローマ帝国の支配を経て、15世紀末にはスペイン・ハプスブルク家の領土になったが、スペインの圧政に対し、1568年に独立運動が勃発。80年間もの長い戦争を繰り広げ、1648年、ほぼ現在のオランダにあたる地域がオランダ連邦共和国として独立した。

日本との交流の始まり〜デ・リーフデ号の漂着

大航海時代、欧州諸国は金、銀、香辛料などを求めて新大陸を探し続けた。1598年、オランダの船が日本を目指し、出港した。1600年、デ・リーフデ(博愛)号が大分県・臼杵湾に漂着したことが日本とオランダが出会った歴史の最初のページだ。

朱印船貿易

江戸幕府の初代将軍・徳川家康はこのオランダ船に招き入れ、乗組員のヤン・ヨーステンらに幕府相談役の地位を与え、彼らから航海術を学んだり、西洋諸国に関する情報を集めた。1609年、幕府が発行した朱印状に基づき、長崎・平戸にオランダ商館を設置、両国の本格的な通商関係が始まった、とされている。

鎖国時代も続いた交流

1637年の島原の乱以後、江戸幕府はカソリック系キリスト教を弾圧し、鎖国に踏み切る。しかし、プロテスタント系キリスト教のオランダ人にとって、布教は目的ではなかったため、その後も200年以上にわたってオランダと日本の交流が続く。オランダ語で西洋の学問を研究する「蘭学」が日本で発展したのはこれが契機だった。一方、逆にオランダではシーボルトらが日本の社会や文化を紹介。1858年、日本はオランダと修好通商条約を締結する。

オランダから伝わった治水・灌漑技術

長年の交流を通じて、オランダから日本に伝えられたものの一つに治水・灌漑技術がある。オランダには高い治水技術があり、スエズ運河やパナマ運河の建設にも使われた。日本に来た土木技術者デ・レイケは、洪水に悩む木曽三川(愛知、岐阜、三重)で堤防建設や護岸工事を行うなど、日本のインフラ整備に大きく貢献した。

日本語になったオランダ語

ビール(bier)、オルゴール(orgel)、おてんば(ontembaar)、ランドセル(ransel)、ポン酢(pons:柑橘類)などはオランダ語の音をそのまま日本語として発声したもの。病院や盲腸、炭酸などもオランダ語の意味を漢字に転換したものだ。

税制と人材

大航海時代、世界初の多国籍企業「オランダ東インド会社」を設立したオランダでは、現在もユニリーバ、ハイネケン、フィリップスなど多くの多国籍企業が活躍している。その大きな理由は、オランダ語が英語とドイツ語の中間の言語とも言われ、オランダ人は英語とドイツ語に堪能な人が多いことが挙げられる。また海外企業が投資しやすいよう、税制面での優遇制度を整え、日本からは三菱自動車や富士フイルムなど300社以上がオランダへ進出している。

オランダは欧州の物流拠点

中継・加工貿易を中心としたオランダは通商国家だ。ロッテルダム港の貨物取扱量は、約4億70トン(2007年度調べ)で欧州一。アムステルダムのスキポール空港は、旅客数が4,700万人(欧州第5位)、貨物取扱量160万トン(同4位)など、欧州全体の物流拠点機能を有している。< 近年は多くのブックメーカーも参入しています。

国際法の首都ハーグと日本学の街・ライデン

首都はオランダ最大の商業都市アムステルダムにあるが国会や王宮、政治機関、最高裁判所などはハーグに置いている。ハーグは「国際法の首都」とも呼ばれ、国際司法裁判所(ICJ)や国際刑事裁判所(ICC)、旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)、化学兵器禁止機関(OPCW)などの国際機関が目白押しに並んでいる。

シーボルトが帰国後に住んだライデンには、日本の動植物の標本や陶磁器などを展示しているシーボルトハウス、欧州最古の日本学科があるライデン大学など、日本とゆかりの深い施設がある。

日蘭外交関係開設150周年、日蘭通商400周年

日本とオランダは、マスコットデ・リーフデ号の漂着から400年以上にわたり、政治、経済、文化などさまざまな分野で友好関係を築いてきた。日本の皇室とオランダ王室の親交も深い。

現在の日蘭関係〜知ってるようで知らないオランダのあれこれ

輸出入貿易取引額は総計8000億円

2000年(平成12年)の日蘭交流400周年記念には、両国で約700の記念行事が催されるなど、日蘭の文化交流は活発だ。2005年(平成17年)の貿易額は、日本からオランダが1兆5,076億円、オランダから日本が2,439億円。同じく主要品目は、日本からオランダが事務用機器、映像機器、科学光学機器、自動車の部分品、自動車など、オランダから日本が科学光学機器、有機化合物、植物性原材料(球根等)、自動車の部品、原動機などとなっている。2004年(平成16年)の直接投資は、日本からオランダが7,764億円、オランダから日本が3,164億円で、いずれもEU加盟国中第1位となっており、日蘭の経済関係は重要さを増している。

日本企業は300社が進出

オランダに進出した日本企業は300社以上で、在留邦人も6,000人以上に上る。日本が輸入する球根の9割はオランダからのものだ。

イラク復興支援で協力体制

密接な関係をもつ政治は、2004年から2005年にかけてのイラク復興支援でも分かる。自衛隊とオランダ軍が現地で支援活動を進めた。

やっぱり画家がイチバン有名?

レンブラント、ゴッホ、フェルメールなどオランダ人画家は日本でも大変な人気を誇る。オランダでは近年、日本のアニメや漫画がブームだそうだ。これに伴って日本語を学ぶ人や柔道・合気道などの愛好者も増えている。

日本でも有名なオランダ人・オランダ系移民

レンブラント、ゴッホ、フェルメール(画家)、アンネ・フランク(アンネの日記作者)、ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト(K-1格闘家)、ヘーシンク(柔道・五輪メダリスト)、キャンディ・ダルファー(サックス奏者)、ルトガー・ハウアー(男優)、マーク・ノップラー(ミュージシャン)

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